天秤












ち か づ く な 。




あんたを…愛してしまわぬように。

あんたを…壊してしまわぬように。


触れてはならない。





「斎藤…さん」

『金輪際、俺に近づくな……あんたが傍にいては俺の頭の中が…あんたのことでいっぱいになってしまう』


涙を堪えて、小さな唇を閉じ、胸の前できゅっと手と手を結ぶ は俯いていた。


『そうなっては困る…俺は土方さんたちに新選組の剣になると誓った……
俺はただ真っ直ぐ土方さんたちに着いていくだけなのだ……わかったか?』



声はでない。

小さくとも、何度も何度も上下に首を振った に胸が締め付けられるような気がした。






すまない。







此方も声にはならなかったが、心の中で呟いた。




届いただろうか?








あれから何度か顔を合わせたが は目を逸らし俺を視界から外す。

予想はしていたがあまりにも心が痛んだ。

俺から距離を求めたのに。





『最近さ 元気なくね?いつもなら笑顔で挨拶すんのにここんところは無理に笑ってる気がする』

『そうだろうか?』


『……一君さぁ… と何かあったわけ?』



不意に疑問を投げかけられ、びくっと肩を震わす。

『な、何故俺に聞く…平助…』



『あ、一君は気が付いてないんだ?僕たち知ってるんだよ、君と ちゃんが恋仲ってこと』



『総司!!何故そんなことをっ』


『抜け駆けはいけねぇよな、斎藤……今どういう状態か…洗いざらい吐いてもらうぜ?俺たちも が心配なんでな』


『左之さん目が怖いよー』

今、この状況で、平助の言う通り皆の目から怒りが見え隠れしているのも気になるが、更に気になるものがある。


『…副長はご存知なのだろうか?』

『ん?土方さん?知ってると思うぜ?』


『今すぐ撤回を!!』

素早く足を一歩踏み出すと総司の手が俺の腕を強く掴む。

『総司!!離せ』


『抜け目がない一君がこんなに焦るなんて…
しょうがないなぁ…僕が土方さんに言っておくよ、 ちゃんと一君は何の関係ない。って』


いつものことだが総司の笑みが怪しい。

こいつを信用していいのか…

『…いや、土方さんには自分の口から告げる…その方が何かと効率が良かろう……』

総司を信用なんてできない…

確かに、総司は剣の腕前もあって、背中を預けれるくらいに信頼性はあるが…

こういう状況では…

『遠慮しないでよ、そんなに信用ないの?』

しゅんと悲しい表情をする総司を見て言葉に詰まる。



演技だ。





演技だとわかっているのに…。

ふぅと大きな溜め息を吐き、諦めたように言う。


『……では…頼む』

『うん、任せておいてよ』

『可笑しなことは言うな…真実だけを話せ……それと、総司…手を離せ…痛い』


最後ににこりと笑みを浮かべ握り締めていた腕を離す。

総司の手があったところを見ると、手の形に赤くなっていた。

相当力を入れたな…



優しく赤くなっているところをさする。

少しひりひりはするが、刀の稽古には問題はないくらいだ。


『まぁ、そういうことだ…斎藤……座れよ』


総司と同じように左之も笑顔だが、周りの空気が違う。

重いというのだろうか?


濁っている。


『俺はあんたたちに話すことなどない』




一時でも早くここから離れたい



誰もがそう思うだろう。

その意志の所為か、少しずつ後退りをする。


『一君、 があのままでいいのか?元気な に戻って欲しいくねぇの?』


俺が無神経にあんな言葉を発したから の元気がない。

そうなのかもしれない。

少しは悔いがあった。



壊さぬように…


から距離をとったのも関わらず、 が壊れてきているのは悟っている。


のことに俺は関係がない…と言ったら皆はどうする?』


『最低だね、斬るかな…』

『…関係ないなんて絶対ありえねぇよ、だって のやつ一君の話題だともっとしょぼくれるんだぜ?』



しょぼくれる…か…

間違っていたのか…?

離れれば考えなくても済む。

そう思ったのは間違いなのか?


わかりきったこと…



今、俺が のことを考えいるのだから。





静かに元居た場所に座った。


『… に……これからは一切俺に近づくな、と告げた』

しんとした空間が流れ、総司がその空間を破る。

『何それ、意味がわからない』

が傍にいると俺の全てが でいっぱいになってしまう……それでは本来の俺の役割が疎かになる。
それは回避しなくてはならん…』


『……は、一君の気持ちもわからなくもないけどさぁ……』

『無論、今後もこの関係を潰すつもりは……ない』

顔を上げていられず、皆から思わず目を背けてしまう。

そうしないと…皆の視線がちくちくと身体中に刺さるから…



痛い…身体も……




心……も。





声からして総司だろう…ふぅっと大きな溜め息が聞こえた。


上目遣いで溜め息を吐いた主を見上げると、きつく俺を睨んでいた。

『一君さぁ…本当にそれでいいの?
もし、 ちゃんが傍にいることで君の剣の腕が廃るならそれはとても惜しいことで、回避しなくちゃいけないことだよ?』


きつい目つきのまま俺を捉えて離さない瞳には、さっきまでは見え隠れだけだった怒りが今は完璧に露わになっていた。


『君もあの子が居ないことで何か悪影響なことがあるんじゃないの?
ちゃんだって一君のことを考えてここ最近覚束ない様子だよ?』


総司が言っていることは正論だ。

と距離を置いてから剣の修行も、巡察も、ヒトとの会話も……


『思い当たることはいくらでもあるだろう?分からないお前じゃないだろ』

左之が穏やかな声ではあるが少しトゲがある言葉だった。


『君が集中したいって言ってることは剣術だよね?十二分に力をだせてるの?
僕には本気に見えなかったんだけど?あれが君の“本気”なら君も腕が落ちたものだね……此処にいる資格…ないかなぁ』


『総司言い過ぎだって!!』

『いや…総司は正しい…』

『そうだよ、僕は ちゃんのためにこんなことを言ってるんだから』

怒りを宿していた総司の目は今度は突き放した目だった。

普通ならあの目を見たら“怖い”と感じるだろう…

でも、俺はそうは感じなかった。


なにか…切ない気持ち。



訴えた目。

が好きだ…と



『…あ、あのさ……正直言うと俺、 のことが好きなんだ…
だから に元気がなかったりしたら俺も同じ気持ちになるような気がする…だから……』


平助が目線を外しながら言葉を並べている中、総司が割り込む。

また、総司の目つきが変わっていた。


今度は…



悔しい気持ちを懸命に隠そうとしているようだった。



ちゃんを大事にしてほしい。もし、僕があの子の心を癒やすことができるならとっくにやってる……
それが僕たちにはできない………一君にしかできないんだよ……羨ましくて…悔しいくてたまらないよ…』





今にも泣きそうな…切なくて…悔しくて…哀しくて…

そんな目だった。





『すまぬ…あの時の俺はあんた達の気持ちも、 の気持ちも持ち合わせていなかった……身勝手な考え方だった…』



『本当に思ってるの?』

切れ長の彼の目が俺の本心を探るように心に突き刺さる。


『あぁ…思っている……嘘偽りない言葉だ』

『君を信じるよ……今回だけ許してあげる……』

『ま、一君は恋愛初心者だもんな!!素直になるって難しいし』


『って、平助…おめぇもだろう?偉そうに言うんじゃねぇよ』

『うるさいなぁ!!』

『でも、今度 ちゃんの様子が変だったら…僕、本気で怒るよ?』

また、俺の心を見るかのように向けられた真剣な目を見つめる。

『あぁ、承知した…』


さっきまでの空気はぷつんと切れ、総司が気の抜けた声で話す。


『はぁあー…どうして僕が君たちの仲立ちしなきゃならないのかなぁ……
そもそもどうして一君なんだろう……僕なら四六時中離れない勢いで愛してあげるのに…』


ちらっと総司が此方を見る。

そんなに の相手が俺だと不満か と反論を考えたが、終わりが見えなくなるのでそのことについては口を噤んだ。


『四六時中……とは御免被るだろう…』


少し嫌みを入れてふっと笑みを浮かべながら立ち上がる。

『では、俺はこれで失礼する。みんな、ありがとう…今から へ思いを告げにゆく』


くるっと踵を返しすと、後ろから面倒くさそうに






『頑張って…ね』




と聞こえた。











少し肌寒い廊下を歩いていると土方さんが此方に向かっているのが見えた。


『副長!!』



いつもより声を張ると、少し驚いた様子で土方さんが見つめる。


『どうした、斎藤』

『あの…俺は…… のことが好きです』


短い沈黙が流れた。


その間ずっと土方さんを見つめていたが、土方さんは驚きを隠せない様子だ。


『なっ、急に何を言ってやがる…斎藤』



『俺はどうしても が好きです… との関係が隊に広がっても……隊の風紀が乱れても…俺は が好きです…
だからこの関係だけは絶対に崩せません…もし、土方さんの命令で と離れろと命じられても…俺は から離れません』


土方さんは最初の方は驚いていたものの、察しのいい頭で理解したのだろう、優しい笑みと、呆れを交えた表情浮かべていた。


『全く…お前ってやつは…急に何を言い出すと思えば……』


土方さんは口元を隠しながら笑いを耐えている。

可笑しなことを言っただろうか?


『いいぜ、見逃してやるよ…だが、あまり目立った真似はするんじゃねぇ…いいな?それが条件だ』


低い声が心に響いた。

『…ありがとうございます』

軽くお辞儀をすると、土方さんは薄く笑みを浮かべていた。



『なんなんだろうな…あいつの人を惹きつける力は……うかうかしてっと俺も引き込まれちまう』


『はい……不思議な力です…俺はもう……深くまで引き込まれてしまいました…』





みたいだな と言葉を並べながら空を仰ぐ土方さんを見ると哀しい表情だった。






『………』

『どうした?』

『いえ…何でもありません…』


今の表情は見なかったことにしよう。

を取られてしまうわけでもないのに怖い。

そんなことで怯える程度の 好き ではないのだから。


『では、俺はここで』

一礼すると、土方さんは此方に向き直り、

『ちゃんと…充たしてやれよ』

と、囁くように言った。

『はい…!!』


今度は素早く踵を返し、 の元へ急いだ。





――早く思いを告げに
早く抱き寄せるために
早く触れ合うために

早く…笑いあうために…