涙、いとおしく











嘔吐を催す程の生臭ささ、独特の血の匂い。

僕はこんな場所で何をしているのだろう?

君の僕を落ち着かせる香りを…

君の僕を落ち着かせる声を…

笑顔を…



君の存在を…




『…うぁぁぁぁぁ!!!!消えろぉぉ!!!』

刀を振りかざす度にひたひたと僕を濡らしていく血が…


僕を…汚してゆく…


この汚らわしい手で…君に触れられるだろうか?

すぅっと通り抜けてしまうんじゃないかな?

君は透明な程に綺麗だから。

こんな薄汚れた手で触れたら…

通り抜けてしまうんじゃないかな?




『嫌だっ…君に触れたいっ!!この汚れを落とすにはどうしたらいい!?僕を汚してゆくのは誰なんだよ!!』


悲鳴に近い声で叫ぶけど、人を殺す手は止まらなくて…



君と僕
そして僕たち以外の人間。


君にある心臓。
僕にもある心臓。


他の人間にもある心臓を…

知らない人間の心臓を…

躊躇いなく……突き刺す。

大量の液体が流れ出す。


その人間の表情は…あまりにも残忍で……

そんな惨いものを平気で見れる僕。

そんな惨いものを何度も突き刺す。


だって…その人間の“死”を確かめなきゃいけない。



ごめんね
ごめん…ね


僕を汚しているのは…僕だ。


『もう僕は…二度と…二度と!!!君に触れられなくなるかもしれない!!
…それが……嫌だ…よ…怖い…』

僕から、君が離れていくことを怖がるように、

君も僕が怖がるようになるだろう…

それが…


『怖いっ』


君の心にも…触れることはできない。

人を殺す僕から後退りをする君の姿が目に浮かぶ。





ーーおねがい…僕を……僕を…見捨てない、で…







おぼつかない足取りで屯所に向かった。

玄関には土方さんらしき人がいる。

さっきまで知らない顔を沢山みていたからか、知っている顔を見て安堵に包まれた。

『総司!!』


そんな声がしたような気がした。

土方さんの意外にしっかりとした腕に支えられて…

みっともなさすぎだよ……



は何処かな…?

こんな所を見られちゃったら落胆しちゃうかな……









起きて下さい……。

お願いだから…



ただ眠っているだけなのに貴方の顔が哀しげで…

もう目を覚ましてくれないんじゃないかと不安にさせる。

もう…触れられないところへいってしまいそうで。


「…沖田さん」


土方さんは精神的に疲れてるだけと言っていたけど…

何が貴方の重荷なのでしょう?

貴方の重荷を全て下ろしたら…私がいなくなるということはありませんか?



足音がした。

元気がなさそうに肩をすくめているのを想像させるような。


、ちょっと来い』


足音の主は土方さんで、私の身体全体に緊張が走った。

もしかしたら沖田さんに…と。

「なんでしょう?」

『ここじゃ話しにくいんだが…』

「今日はずっと沖田さんの傍に……」

土方さんは少し納得いかない様子だったが、ふぅと短い溜め息を吐いた。

『まぁ……、あいつも寝てるみたいだから平気…か』



一 体 何 が ?



『単刀直入に聞く。おまえは総司が好きか?』



誰だって急にこんなことを聞かれたら戸惑ってしまう。

もし、好意を抱いていたって……。



『どうなんだよ』

面倒くさそうに、眉間に皺をよせる土方さんと目を合わせれないまま、

『……好き…です』

呟くように言う、土方さんに聞こえただろうか?

少しの間の沈黙が長く長く感じた。

『あいつ…、倒れた時にお前の名前を呟いていた…
お前に触れれなくなるのが怖い、怖がらせてしまう、ってな…
だから、あいつに……総司に必要なのはお前だ…支えになってやってくれ』


早々と土方さんが口にした言葉を聞き、

全身に張り巡らされた緊張が解け、涙腺が壊れたように涙が溢れ出す。


「どうしてそんなことをっ……私は沖田さんに怯えを覚えたことはないのに…!!沖田さんは優しくて…優しくて…」

『お前が泣いてどうする…』

薄く微笑む土方さんが霞んでいてあまりよく見えない……


しかし、とても優しい表情ということはわかる。

「そうですね……これからは私が沖田さんを支えていきます。私が…沖田さんを守ります」

『あぁ……頼んだ…』


土方さんも心配だったのだろう…

掠れそうな声だったけど、とても安心した様子だった。



「はい!!」



沖田さん……

貴方が目を覚ましたら、

私の心に秘めていた想いを貴方に伝えましょう……



もし、貴方と私が違う想いでも構わない……

少しでも貴方の心の闇が晴れることを願って……









目を覚ますと、襖の向こうには土方さんと… の声がする。

なんとなく、襖に背を向けて、盗み聞きするわけではないけど、2人の会話が耳に入ってくる。

『あいつ、倒れた時にお前の名前を呟いていた…お前に触れられなくなるのが怖い、
怖がらせてしまう、ってな…だから、あいつに……総司に必要なのはお前だ…支えになってやってくれ』


……余計なことを…

傷つくのは僕なんだから…

やめてよ



放って置いてよ……



「どうしてそんなことをっ……」



ほらね……僕の支えになるなんて嫌に決まってるんだから…

怨みますよ、土方さん。


「私は沖田さんに怯えを覚えたことなんてないのに…!!沖田さんは優しくて…優しくて…」


『…』



嘘だ…………


無意識に目を見開いた自分に気がついた。

本当なのか、嘘なのか…。

怖いくらいに心臓が高鳴る。


『お前が泣いてどうする…』

「そうですね……これからは私が沖田さんを支えていきます。私が…沖田さんを守ります」



支えていきます……?

僕を守る?



が?





『……っ………ぅ………ぁぁっ……』





声を殺して、殺して。

悟られないように…

でも、抑えきれない程に嬉しくて……


『あぁ……頼んだ…』



「はい!!」



元気良く返事をする を今すぐにでも抱きしめたくて……


狂おしいくらいに……



















いつか、触れられなくなる程に遠く遠くへ行ってしまうと思っていた が……

直ぐ傍に………




『しっかりな…じゃ、俺は戻る』


「はい、私も沖田さんに濡らした布を取ってきますね」


2人の話声が遠くなってゆくにつれ、僕の声は少しづつ、少しづつ…音量を上がっていく。


『…っ…ぁぁ… っ… っ……ありがとうっ……』


ぐすぐすと鼻を啜る音がやけに耳に付く。



僕……泣いてるんだ

僕が…泣いてるんだ

嬉しいという感情で…


さっきも…今も涙を流してる。


手のひらに落ちた涙を握り締めた。





誰かが通るかもしれないという心配を忘れるほどに泣き崩れた。


『…っ……』



近くからぱたぱたと足音が聞こえる。


…だ。



寝ている僕を気遣ってなのか、音もなく静かに襖を開ける。


「沖田…さん?」





涙を流している僕に驚いたのか、目を見開き駆け寄ってくる。


「どうしたんですか!?何処か痛みますか?」


驚いた様子から哀しげな様子に変わる。


そんな顔をしないで…





僕は今…とても幸せだよ





…ありがとう……僕を怖がらずにいてくれて……僕を守る、支えると言ってくれて……』



の頬に触れると、 の大きな瞳から零れ落ちた雫が、僕の指を伝う。




が泣いている。

僕の言葉で……





『泣かないで…僕は嬉しいんだ、哀しいんじゃないんだよ?』


「…私もっ……沖田さんの言葉が嬉しいです!!」

涙で潤んだ瞳だが、きりっとした目つきで、此方を見つめる。





「私…沖田さんのことがすっ」




遮られた声。

驚きを隠せない

触れ合った互いの唇。



ちゅっと軽く音を立てて離れていく。

『それ以上言わないで…』

が間抜けな表情になった次に哀しげな様子に変わった。

「……え?わた、し…沖田さんが私と同じ気持ちじゃなくていいんです…だから…言わせて……」



僕の目から は澄んだ瞳を逸らし震えた声で言う。





『君が好きなんだ…僕』





少し目を伏せてそう呟く

『ねぇ…』

伏せていた目を に向けると、涙を堪えた表情だった……。

「なん…だ……気持ちも伝えちゃいけのかな…って」


今にも溢れ出しそうな涙を堪えながら少し怒ったように


「私から言おうと思ってたのに」


『ごめんね、こういうことは僕から言いたかったんだ……』


何時もの笑みを浮かべ の髪を撫でる。

まだ、不満げな様子の の顔をくいっと上げる。



『僕はまだ君から“好き”と聞いてないよ?聞かせて?ね?』


「なっ…もういいじゃないですか!!」



『えぇー…僕、まだ分からないなぁ…君に気持ちが伝わったのか…』







こうして過ぎ行く時間が当たり前になることが…


幸せに感じるよ。






「…沖田さん…大好きです」













『……泣いてやがったな…総司のやつ………』

ふぅと溜め息を吐く。


への執着心…

それが総司の心の均衡をとる。


あの時の総司は…崩れすぎていた。







少し前に戦に駆り出た隊士たちを追って、屯所を出ようとした時、ふらふらとした足取りで此方に向かう総司を見た。


『総司!!』

俺を見るなり、何時もとは違う弱々しい笑み浮かべる。


倒れそうな総司を支えるが、既に総司は目を瞑っていた。








女の名前を呼ぶ総司を見て分かった。

こいつ、 が好きなんだ。

まぁ、こんな状態で女の名前を呼ばれちゃ、誰だってそう思う。


『……総司』

呟くように総司の名前を呼ぶとうっすらと綺麗な緑の瞳を開ける。


『…土方、さん……僕、怖いんです…僕が…触れたら、怖がらせてしまうっ……触れられなくなるのが怖い…
土方さん…僕は…どうした……ら… が…ほし…ぃ』


ずんと総司の身体が重くなる。


それと同時に、総司の言葉がなくなった。







『依存……か』



依存、執着、独占欲…。



『まだまだ、子供じゃねぇか……』


がいなかったら何が総司を安定させていたのだろうか?

戦い…だろうか?


しかし、己を剣として生きると誓った者に恋愛感情は必要なのか?

罪悪感、後ろめたさが人を殺すということを邪魔させるんじゃないか?

油断……してしまう。

油断したならば…命を落とす確率が上がってしまう。



『まぁ、考えても仕方ねぇよな……いい安定剤があったじゃねぇか……』






溜め息混じりに言い空を見上げると快晴だった。




総司の心も、この素晴らしい程に晴れた空のように透き通っただろうか…?