私は何?











目を開けると障子を突き抜け眩しい光が部屋を満たす。


きらきらと光る朝日で朝が来たことを告げる。




部屋に を迎えた初めての朝。
隣で眠る は昨日と打って変わって安らかな寝顔だった。


頬の赤みも引き、綺麗な白い肌が見える。




「ん……おはよ……」


ちゃん、おはよう』


「……ぁ!!」



新鮮な挨拶が交わされた。


昨日の事は夢だと思い込んでたのかもしれない。
もしかしたらあの男と勘違いしたのかもしれない。
他の男ともこうやって一緒に寝てたんだ?





「わた……し」



微笑む僕とは裏腹に今の状況を理解したのか、空気が険悪化した。
むっとした表情で俯いたままだった。




『僕はこれから朝ご飯食べてくるからね。君と一緒に朝御飯もいいんだけど、皆に疑われちゃうから…』


悲しそうな笑みを浮かべる。
悲しいのは本当だよ?



ちゃんはここで大人しく待ってて?あ、騒いだり逃げだそうとしたら……
そうだなぁ…暗くて狭い部屋に閉じ込めちゃおうかなぁ?』


楽しそうにくすくすと笑った。
“楽しそうに”ではなく、楽しくて…。
少しだけ閉じ込めてしまうのも面白いかもしれない、なんて考える。

だって は苦しみや恐怖に歪んだ表情も魅力的だから…。



楽しい気分の僕とは逆に、 は絶望したようなぼやっとした目で頷く。



すると、 の目からまた涙が溢れ出しそうだった。
一瞬で僕の顔から笑みが消えた。

その涙は何?
昨日まで“これは悪い夢”だった筈がまだ僕が君の目の前にいるから?




君にとって僕は悪夢だもんね。





僕は涙を拭い、 の頭を優しく撫でた。

さっきまで楽しかった心も、彼女の涙を見れば心が痛んでしまう。
口にはださない気持ちが涙となって本心を溢れ出させてるから。

本当の気持ちがわかる唯一の産物。



不覚にも僕も涙が溢れ出しそうだ。

弱い僕を見せるのに拒み、さっと立ちあがり笑みを浮かべる。
いつもの笑みを…。


『ははっ、大丈夫だよ、 ちゃんのご飯も拵えて来るよ』


の顔を見ずに僕は部屋を後にした。








騒がしい広間に行くと、いつもより眉間にしわを寄せた土方さんがいた。
面倒くさいなぁ…

どうせ昨日のことでねちねちとお説教だろう…




『おはようございます……土方さん。どうしたんですか?』

敢えて満面の笑みで挨拶の言葉を口にする。
だが、彼の返答に挨拶の返事はなく、


『てめぇ……よくそんな面ができたな総司…』


『土方さん、挨拶しないなんて礼儀がなってませんねぇ…習いませんでした?朝の挨拶は“おはよう”だって…』


僕が話すにつれ、土方さんの眉間の皺がさらに深く刻みこまれる。
すると、ちっと一つ舌打ちをして、

『あぁ、おはよう…!朝から説教すんは俺も嫌なんだがなぁ、総司』

『なら、しなきゃいいじゃないですか。僕も朝からお説教なんて聞くの嫌ですよ』

『てめぇな!!!いい加減にしやがれ!
昨日までの報告書はどうなってやがんだ!?てめぇが外に出たい出たいうるせぇから出してやったらこれだ!もう外に出してやんねぇぞ?!』


がぁがぁと怒鳴る土方さんの前でぽかんと情けない表情の僕がいた。



『報告書…」


ぽんっと、手のひらに手を打ち付ける仕草ををする。
本当に忘れてたんだ。


昨日の僕の頭の中に“報告書”という文字は1つもなかった。
ただ、 のことだけが気掛かりで仕方がなかったから。
と言えばいい訳になるだろうか?

僕も落ちたもんだなぁ…
たかが女の事でせっかく手に入れた仕事を忘れるなんて…


『…忘れてました、すみません』


『なんだ?いつもより素直じゃねぇか……何かあったのか?』


怪訝そうな表情で土方さんが此方を見る。
いくら勘の鋭い土方さんでも のことには気づいていないようだが、
思わず鼓動がはやくなってしまう。


『土方さんも酷いこと言いますね、何もないですよ』

わざと素っ気ない返事を返す。
それに対して土方さんは感慨深いようすでふぅんと笑う。


少しの沈黙が流れた。
それは、遅れて入ってきた平助によって破られた。


『はよー。今日の朝飯なに?』

眠そうに眼を擦りながら千鶴の隣に腰を下ろしたと思えば、
ふぁ、と一つ欠伸をする。


『平助くんおはよう、今日は焼き魚とお味噌汁と……』

千鶴は丁寧に説明を始めるが、うずうずした新八さんが平助に平手打ちを入れた。
ばちんっと響いた音に叩いた本人と千鶴、平助を除く周りの人物がはぁ…と大きな溜息を吐いた。

『見たらわかんだろ、つか平助おせーよ!!』


『いったぁぁ!!!朝からなにしてくれんだよ新八っつぁん!!』

平助の頬は赤くなってゆく。
新八さんの馬鹿力で叩かれたのだから言っているうちに腫れてくるだろう。


『お前を待ちくたびれてんだよ』


『オレはなぁ!昨日夜からの巡察で疲れてんの!酒呑んで酔いつぶれた誰かさんに言われたくないね!』

確かに昨夜は新八さんの声がよく聞こえた。
その所為で昨夜は が起きてしまわないか無駄に気を使う夜になる。
それに関しては迷惑この上ない。

『あんだと!?言っておくが俺は酔いつぶれてねぇよ!』

またしても見計らったようにはぁ…という溜息が重なった。
当然だが新八以外で…。


『…新八さんもう良いですから早く食べましょう?』


『あ、総司たまには良いこと言うっ!!』


『平助ー…“たまには”は余計だよ』




新八さんと平助は千鶴を挟んで席着いた。
険悪な状態の間の千鶴の笑顔は引きつったままだったのが面白い。


やっと食事が終わり、後片付けをする千鶴のところへ向かった。


『お疲れ様、千鶴ちゃん』


お皿を片手に苦笑いを浮かべる。
それにつられ、僕も苦笑いに似た笑みを浮かべた。


『どうなさったんですか?沖田さん』


いつもなら食事が終わればそそくさと自室に戻る僕だが、
わざわざ勝手場にくるなんて珍しい。



『朝ご飯の残りってある?』


『残り?お腹いっぱいになりませんでしたか?』


敢えて声には出さずにこくこくと頷く。
訳は出来れば誰にも知られたくないからだ。

食い意地が張っているわけではなく、 の食事を拵えるためだ。
千鶴に頼まなくても、外へ出ればいいのだが、出来れば外へ出たくはない。


『今日は残ってないと思います……何か作りましょうか?』

軽く首を傾げながら問う千鶴は少し に似ているような気がする。
少し幼い顔付、背丈も…。


『本当?ありがとう』


外に出て買いに行くのも手間がかかるし、
そもそも を置いていくのも良い気がしなかったからだ。



『何にしましょうか?』



『そうだなぁ………千鶴ちゃんに任せるよ』


『えっと……だし巻き卵とか………』


『うん、それで』

料理をつくる千鶴も によく似ている。
思わずじっと千鶴に目をやっていれば、視線に気がついた千鶴が振り返る。

『お…沖田さん…私になにかついてます?』

怪訝そうな表情を浮かべる千鶴を見れば、
もこんな表情をするのだろうか…と、 に繋げてしまう。


『…ねぇ、千鶴ちゃん…女の子ってどう扱えばいいの?どうしたら喜んでくれる?』

千鶴の疑問を完全に無視をして真剣な面持ちで千鶴を見る。
半ば千鶴は唖然とする。


『………どうしたんですか?』


『僕、好きな女の子ができたんだ…君によく似た女の子…
だけど、僕は嫌われててすぐにあの子を傷つけてしまう…自分の思い通りにならなくて…あの子を壊してしまいそうで怖い』


膝の上で組んでいた手が小刻みに振るえているのに気がついた。
自分で播いた種なのに…正直部屋に帰るのが怖かった……


僕が近付けば君が傷つく。

それが怖い。


僕は改めて取り返しのつかないことをしてしまったと実感した。


僕自身も、
自身も……



『どうしたら…僕は…間違ったことをしてしまった…どう接したらいいんだろう?』


情けなく声も震えている気がした。


千鶴にこんな話をするつもりはなかった。
いや、したくなかった…情けない僕を誰にも見せたくなかった。


だけど、誰かに聞いてほしいという矛盾の心もあるのには間違いはない。




震える僕の手を、千鶴の小さな手が優しく包んだ。
はっと僕は千鶴を見る。












『沖田さんは優しい心を持ってますね…だって、そんなにもその子のことを想っているんですから。』















『千鶴…ちゃん』


『こうやって優しく触れてみて下さい…きっと沖田さんの優しさを見つけてくれると思います。
だって私は沖田さんの優しさに気づいてますから』


そう言って千鶴は優しく僕の手を撫でた。
優しく優しく…。


『ありがとう…千鶴ちゃん。君も優しい子だね…馬鹿にされると思った』



『人は皆人を愛することで悩みを抱えます。
そのことは悪いことではなくて、とっても素敵なことなんです。だから、馬鹿になんてしません…
馬鹿にする人は、本当に人を好きになったことがない人です。それはとても悲しいこと…』



そんな人はこれから人を愛することを知っていく未熟者なんです。
と、千鶴は微笑んでいた。



でも、その目は少し潤んでいる。
だけど、何故か僕の心は痛まない。


『千鶴ちゃん…?僕のために泣いてくれてるの?』


『何だか……沖田さんの心の気持ちがすごく伝わってきて…
苦しみながらも悩んでいて…それでも好きな気持ちは変わらない…沖田さんはすごい人です…
きっと沖田さんの気持ちは大きすぎて一回じゃ伝わりきれないと思います。
だから諦めずに何度も優しく触れて、優しく話し掛けてみて下さい』






人を思っての涙だから……







『うん、諦めないよ。…本当にありがとう。千鶴ちゃん…』



そう言って僕は微笑んだ。



『はい…そうやって笑って下さい』











僕は千鶴に作ってもらっただし巻き卵とお茶を注いだ湯飲みを手に部屋へ向かった。




ちゃん、ただいま』



「………!」




腕を縛っていた縄を解いてもまだ、震えている小さな身体。
僕はその小さな手を握り締める。




ちゃん…僕がここにいる理由は君を守るためだよ。過激派攘夷浪士といた女だってばれたら君は殺されてしまう…。
僕はそんなこと望んでいない。君を… ちゃんを守りたいと思ってる。』


僕の体温が伝わって、 の体温も僕に伝わる。
そうしてだんだんと温かくなっていった。



「…あの人は私を利用してたんですか…?私はどうでもいい存在だったんでしょうか…?」

悲しそうな表情だった。
僕はなにも口にできない。

また、 を傷つけてしまいそうで。



「使えなくなったら殺してしまってもいい存在?
貴方も…私を利用するんじゃないですか?守るなんて嘘……
いらなくなったら私を手柄として殺すんでしょう?」


『僕はそんなことしない!君を守る……手柄なんて欲しくない!』


『あの人も…貴方と同じ言葉で……守るよって…言ってくれた!!
でも…守ってもらった事なんて一度も無い…みんな…私を良いように使って、捨てて…。どうして……私だけ?」



そう、泣き叫ぶ の言葉の中にはまだ深い深い……悲しみがあるのが分かった。



ちゃん、落ちついて』









「私は道具じゃない…玩具じゃない…私は人なの…人として扱ってよ…
道具としてじゃなく…玩具としてじゃなく…人として…1人の女として私を愛して…じゃないと…私が壊れ…ちゃ……ぅ」








また の記憶はきれた。







自分が思っていた以上に の悲しみは深いと悟った。





泣き叫ぶ を止めてでも否定したら良かった……
道具じゃない、玩具じゃないって……


会ったばかりで今は役に立ててないけど…
…壊れかけている君を……僕は支えていくよ。





僕は……人として君を愛してゆくよ。
人として優しく触れ、話すよ。








いっぱい話し合って、笑い合って、触れ合って…少しずつでいい…僕をみて。








僕は君を見ているよ。
君が僕を見てくれるなら何だってでくる。
僕は君の盾となり矛ともなるよ……
そんな覚悟だってあるんだ。

本当だよ……




ちゃん……ごめんね…もう少し僕に猶予をちょうだい?きっと僕が君と笑いあえる日々をつくるから』



冷たくなって残っただし巻き卵を口に含んだ。

何だか悲しみがこみ上げてくる。


『千鶴ちゃん…僕にできるかなぁ…?』






愛することじゃなくて、愛し合えることが……










『“諦めずに何回も優しく触れてみて下さい”』




そう千鶴の言葉が過る。


の手に触ると、 の手は死人のように冷たかった。

こんな格好だからかな?
そんな を優しく抱き寄せ暖めた。




『ごめんっ…ごめんね……』



願わくば僕の言葉が、気持ちが、暖かさが……
一時も早く君に伝わりますように。




名残惜しく と離れ、浅葱色の羽織りに身を包みむ。
鉢金の長い紐を額に括りつけた。


足音をたてずに へと近寄り、頬に優しく口付けた。



『行ってくるね』






いつか……“いってらっしゃい”って言ってくれるかな…?